私たちは、親鸞聖人が生涯をかけてたどり着いた「結論」だけを、一人歩きさせてしまっているように思います。たとえば、「他力の救い」「悪人こそ救われる」といった教えだけが表に出てしまい、その結論に至るまでの苦しみや悩み、迷い、努力といった《歩み》が忘れられてしまっているのではないでしょうか。
親鸞聖人は九歳で出家し、比叡山で二十年間の修行を積みながら、ついに自力の限界を感じて山を下りました。法然上人のもとで念仏の教えに出会い、流罪という試練を経て、越後・関東で民衆とともに生き、晩年に京都で教行証文類を完成させました。
その「歩み」の中にこそ、私たちに届く言葉があると思います。結論だけを受け取ろうとするのではなく、その人が何を見て、何を感じ、どう悩んだかを辿ることが、教えを本当に受け取ることではないでしょうか。

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